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2007年8月18日 (土)

中央アジア17

韓国、インチョン経由で、成田へ。

帰りも、行き同様インチョンで"スンドゥブ"を食べたかったのに、乗り継ぎが短くて、食べられなかった。まだ韓国ウォンは残ってるというのに…。無念。

今回は、体調を崩すこともなく、万事快調で成田到着。

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2007年8月17日 (金)

中央アジア16

■ビビハニム・モスク

Photo_14 大規模なモスク。ビビハニムはチムールの奥さん。この建築家はチムール遠征中に、彼の妻であるビビハニムに恋をして、どうしてもキスをさせてほしい、させてくれれば早く完成させる、としつこく迫る。度々の求愛にビビハニムは折れ、一度だけ建築家にキスをさせてしまう。そのキスの跡を見つけたチムールは、建築家を死刑に、ビビハニムをこのモスクのミナレットから突き落としてしまう。別の説では、ビビハニムは一命を取り留めたが、これ以降、イスラムの女性は黒いヴェールで顔を覆わねばならなくなった、との伝説がある。

■シャーヒ・ズィンダ廟群

Photo_11 シャーヒ・ズィンダとは"生ける王"という意味で、7世紀、預言者ムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースはここで異教徒に襲われて、首を刎ねられてしまった。ところが彼は動じることなく礼拝を終え、自分の首をかかえると、深い井戸へと入っていった。という伝説よりつけられている。

ここの入り口の階段を、上りと下りで段数を数え、同じ数字なら日々の行いが良く、天国に行けるらしい。違う数字になってしまったら、再度出直しだとか。私はばっちり同じ数字だった。

その奥には、チムールゆかりの人々のお墓が所狭しと並ぶ。妹や姪など。他にも不明な墓などもあるのだが、女性が奉られている墓は内部の装飾も女性らしい、かわいい装飾になっていて、素敵である。残念なのは、建物同士が密集しすぎていて、引きで見れないこと。

■ウルグ・ベクの天文台

Photo_12ティムールの孫である、ウルグ・ベクの作った天文台。今では、内部が一部残るのみになっている。ウルグ・ベクは、統治者というよりは学者肌の人物で、偉大な科学者の1人として数えられている。この天文台で計測した1年の長さは、現在使われているものと1分弱しか変わらない、という精度の高さ。他にも、1018もの星の軌跡を記録した彼の天文表は、後に弟子達によって出版され、ウルグベクの名前を広く世に知らしめた。


■アフラシアブ の丘(博物館)
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現在は、見渡す限りの荒れた丘になっているが、モンゴルに破壊される以前は、何世紀もの間ここに町が栄えていた。発掘の結果、11層もの時代の痕跡が、重なっているとのことだ。昔はこの場所をサマルカンドと呼んでおり、シルクロードと結ばれて運ばれてくる物資や商人で賑わっていたという。


■アフラシアブ(アフラシャブ)博物館
7世紀のフレスコ画が保管されている。中国的な女性も描かれており、当時の交易圏の広さを物語っている。

午後:サマルカンド→タシケントへ移動

■独立広場

Photo_36上院議会脇の広場。広大。



■チムール広場

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馬に乗ったチムールの銅像がある広場。



■ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場

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日本人捕虜が第二次世界大戦後、シベリアから数百人送られて、この劇場を建てる仕事をさせられていた。向かって左手の脇にはそのことが書かれた記念碑が壁に埋められている。私が行った時は、ちょうど日本の歌舞伎かなんかの公演の大垂幕がかかっていた。

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2007年8月16日 (木)

中央アジア15

午前:タジキスタンへ移動

■ペンジケント遺跡

Photo 拝火教神殿跡…ザラフシャン川を見下ろす、丘の上にある遺跡で、ソグド人の、ゾロアスター教の神殿があったとされている場所。日干しレンガで作られていたため、砂一面。

8世紀のアラブ来襲の時、住民が町を放棄したままの状態で、古代都市の原形を残しているので、"中央アジアのポンペイ"と呼ばれている。

Photo_2 遺跡を歩いていると、昔のコイン発見。ガイドに「プレゼント」と言われたが、遺跡から出てきたものを外国人にあげていいのか。否、良くない。ということで、辞退。


■博物館
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小さな博物館がある。そこには、壁画の写真等があるのだが、面白かったのは、動物の骨で作られた、赤ちゃんの誘尿器。ゆりかごに刺して、あてがうらしい。そして逆側には、壺のようなものを置いておいて、尿を溜めるような仕組みにしていたそうだ。(現在でも、骨ではないが、木製のものを使用しているとのこと、写真右)

■ルダキ記念・歴史博物館

Photo_3 鳥葬の骨壷のオスワリ(オスアリ)や、壁画が残っている。



■バザール

Photo_4 タジキスタンでは、塩が名物だとのこと。3kgで1ドル、と言われたのだが、そんなに持って帰りたくないので、買わずじまい。一口舐めてみたが、ミネラル分が多く含まれているのか、直接的なしょっぱさは無く、じんわり効く感じで、なかなかおいしい。

タジキスタンの女の人は、とっても眉毛がつながっている。他の国もつなげてたけど、タジクは半端じゃない

移動(タジキスタン→ウズベキスタン)

■レギスタン広場

Photo_33 レギスタンと聞いて、勝手にレジスタンスがなまったものと思っていたが、レギが砂、スタンが広場という意味だという。3つのウルグベク・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、シェルドル・メドレセに囲まれた広場で、3方向どこを向いても美しい。残念ながら私が行った時は、年に一度の音楽祭の準備で、中心に大きなステージが設けられており、全体像を満喫できなかった。


○シェルドル・メドレセ

かつての神学校であるが、外壁にはライオン(虎にしか見えない)と鹿が描かれている。あと人面のついた太陽も。イスラム教では偶像崇拝を禁じているので、非常に珍しいのだが、支配者が敢えて自分の権力の誇示のために描いたとのこと。代わりに建築家が責任を取って自殺した、という説も。現在内部はお土産屋になっている。

○ウルグベク・メドレセ
同じく神学校として建てられた。宗教以外にも、科学や哲学など他の学問も教えられた。内部はお土産物屋になっているが、内部の装飾も美しいので、入ってみる価値はある。

○ティラカリ・メドレセ

Photo_34 一番最後に作られた、新学校。ティラカリとは金色の、という意味で、内部に入ると理由がわかる。他の2つのメドレセとは違い、礼拝所が残っているのだが、金色に輝く内部は美しく、決して下品ではない。思わず息を飲んでしまう。3つのメドレセの中で、一番見ごたえがある。ソ連時代の修復前の写真なども各土産物屋の間に貼られているので、要チェックだ。


■グリ・アミール廟

Photo_35 グリ・アミールとは、タジク語で「支配者の墓」という意味。ティムールとその息子、孫が葬られている廟。ティムール本人は、シャフリサーブスに墓を作っており、そこに埋葬されることを望んでいたが、願い叶わず、現在はここに埋葬されている。1941年ソ連の学術組織が墓を発掘し、ティムールの足が不自由であったことが判明した。

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2007年8月15日 (水)

中央アジア14

■シャフリサブス

Photo_6 シャフリサーブスは、緑の街という意味で、一帯が公園のようになっている。中央にはチムールの立像がたっている。その周りでは、平日だというのに十数組の結婚式後のカップルが。近くに結婚申請所みたいなものがあるとのことで、チムールの麓にわらわらとウェディングドレスと燕尾服の組がいた。

近くのレストランをふと覗くと、披露宴会場を目撃。お客さんは踊り狂っていたけれど、新婦はつまらなさそうな顔をしていた。


近くの文具屋で、キリル文字のポスター3枚購入。現物しかないと言われたのだが、埃まみれで汚い…。汚い、といって値切ろうかな、と思ったけれど、自分が値切ろうとした差額が、数円だということに気付いて、やめる。文具屋のTVでは、韓国ドラマをやっていた。そう言えば、どっかに行った時も日本人だと言ったら『おしん、おしん』と言われた。イランでは大人気だったと聞いていたが、ここら辺でも有名らしい。


■アクサライ宮殿

Photo_7 チムールが建てた夏の宮殿、アクサライ宮殿。アク・サライとは、"白い宮殿"という意味。当時は50m以上の高さがあったと言われ、最上階にはプールまであったと伝えられている。真ん中のアーチの部分は地震で崩れ落ちているが、両脇のゲートの上には今でも登ることができる。シャフリサーブスの公園内が一望できる。


■ドルッテクロヴァット建築群

Photo_8 ティムールゆかりの建築群。コク・グンバス・モスクと2つの廟が並んでいる。右奥のグンバズィ・サイーダン廟は、ウルグベクが自分の子孫のために建てたもので、中に並んだ4つの墓石の一番奥の墓石にはくぼみがあり、そこに貯まった水を患部につけると、その病気が治るという言い伝えがある。一応、病気はないけど、額につけてみた。


■ハズラティ・イマム・モスク
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ドルッサオダット建築群の入り口付近にあるモスク。お昼のお祈りの時間にちょうど居合わせた。今回の旅行では、これが最初で最後のお祈り目撃だった。ほとんど全部の様子を横から見ることができて、こちらも真摯な気持ちになった。が、写真とビデオはちゃっかり撮ってきてしまった。向こうもさすがに気になるらしく、ちらちらこちらを伺っていた。

モスクに男性しかいないので、気になってガイドに尋ねたところ、モスクに行くのは男性だけ、女性は家の中でお祈りするとのこと。女性がいると気が散るらしい。マレーシアなんかは、男女分かれてるけど、一応両方入れるようになったいたのだが…。同じイスラム教でも、国によって全然風習も違うようだ。


■ドルッサオダット建築群

Photo_10若くして戦死した、ティムールの長男のために建てられた廟。チムールが自分で自分のために作った墓もある。本当は生まれ故郷である、ここに眠るつもりで墓を建てたらしいが、色んな因果で中国遠征の後、サマルカンドに葬られてしまった。なので今は誰の骨も無いのだが、中に入ることはできる。地下になっていて、かなり湿気が多い。カビが生えるんじゃないだろうか。サマルカンドのお墓の方が、ずっと快適そうである。 

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2007年8月14日 (火)

中央アジア13

■チャシュマ・アイユブ
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チャシュマは泉、アイユブは旧約聖書のヨブがなまったもの。人々が水不足で苦しんでいた時、ヨブがここを杖で叩いたら、泉が湧き出たという伝説から。今でも泉があるのだが、水道のようになっている。地元の人が水を汲みにきていた。この辺一帯の水はしょっぱいというか、微量の塩分を含んでおりおいしくないのだが、ここの泉の水だけは純水に近く、とてもおいしいのだという。(舐めてみたが、残念ながらしょっぱかった。)泉の奥に墓があり、地元の人はヨブだと言い伝えているが、発掘していないので、誰であるのかは、わからぬままだ。

■アルク城

Photo_22 2000年以上前からブハラの中心地であり、破壊と再建を繰り返した城。現存する城は、18世紀に建てられたもので、1920年にロシア赤軍に攻略されるまで、ハーンの居城であった。ハーンの椅子や写真なども内部の博物館に残っている。レギスタン広場に面した入り口から入ると、広い城内に出る。ハーンの居住跡やモスクなど、見ごたえがある。写真撮影は入り口で料金を払う。(後払いも可なので、内部を見てから決めると良い。)ハーンのみが馬で城内に入城することを許され、それ以外の人が馬で移動したら、首をはねられたらしい。歴代ハーンは残酷な処刑を行っていたが、ロシア軍によって禁止された。


内部のモスクは金曜日以外の曜日用に作られた。金曜日は、近接のボロハウズまで絨毯を敷き、その上を歩いて行ったとのこと。(昔はその2つの場所をつなぐ回廊があったらしい。)今は、その内部モスクはアラビア文字のカリグラフィー博物館になっている。他のウズベキスタンの観光施設と違わず、全ての建物に土産物屋がいて、売り込みをしてくる。

■ウルグベク・メドレセ

Photo_23 15世紀の初めに建てられた現存する中央アジア最古の神学校。ソ連時代、宗教は固く禁じられていたが、ここともう一箇所のの神学校のみ、神学校を存続することを許された。「知識欲こそ、ムスリムになくてはならぬもの」と彫られている。


■ボロ・ハウズ(バラハウズモスク)
Photo_2820本の長いクルミの木の柱が並ぶモスクであるが、「40本の柱のモスク」と呼ばれていた。モスクの前にある泉の水面が柱を映して40本に見えるからだ。(今でも池はあり、柱の像が映っているものの、水は汚い)


Photo_29 ちなみに私が行った時は、お祈りの時間に早めに到着していたおじいさん達を発見。左から84歳、87歳、94歳。年齢順に並ぶらしく、1人ずつ増えるごとに席を譲り合っていた。


■カラーン・ミナレット

Photo_24 カラーンは大きいという意味。このミナレットに登る。内部はやはり暗いが、あまり急ではなかった。登るのは有料。写真撮影も有料。

このミナレットとモスクは、チンギス・ハーンが攻めてきて、壊そうと思って来た時に、風が吹いてハーンの帽子を飛ばした。この帽子を拾ったハーンは、「このモスクとミナレットは、私に頭を下げさせた立派な塔だ。」と言って、壊さずに残したという。

併設のカラーン・モスクは288もの丸屋根を有している。


■バザール

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生鮮食品と衣服が主。大きいバザール。


■シエスタタイム
暑いのでホテルでシエスタ。夕方から出かける。


■アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ

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ウルグベク・メドレセの200年後に作られた神学校。中庭を囲んで2階にアーケード状の部屋がある。1階は勉強スペース、2階は居住スペース。2階には、夏休みにも拘らず、洗濯物がかかっていた。


■タキ

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丸屋根のついたバザール。今でも土産物屋が並ぶ。多いお土産としては、刺繍入りの布製品(バッグやストールなど)、絵、帽子、鳥の形をしたハサミ、ソ連時代のバッジ、革に絵を描いたもの等


■マゴキ・アッタリ・モスク

Photo_18 土の中に埋もれていたモスク。1936年に掘り起こされた。以前はユダヤ教の信者も通っていたらしい。


■ラビ・ハウズ

Photo_16池。四方から中心に向かって、水が噴水のように噴出している。昔から人々の憩いの場所であったという。近くに、『ウズベキスタンの一休さん』と称されるフッジャ・ナスレッディン像が。


■チャール・ミナール

Photo_15 4本のミナレットという意。ラビ・ハウズから住宅街の裏道を少しあるくと、4本のミナレットをもつチャールミナールに出る。ミナレットは青いドームで覆われており、とても特徴的な様相を呈している。中のお土産物屋をかきわけて入っていくと、階段があり、中心部の上まで登ることもできる。登ってもあまり見晴らしはよくない。


■ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ

Photo_14 内部では、夏の間民族舞踊ショーが観光客向けに行われている。元々は1622年に建てられた神学校。元々は、キャラバンサライとして建てられたものだったが、お偉いさんがやってきて、素敵なメドレセだな、と建築中に言ったのをきっかけに、神学校にしてしまった。

ここの壁に描かれている太陽には顔があり、その下には孔雀などの動物が描かれている。偶像崇拝を禁じるイスラム教では非常に珍しい装飾である。


■夕食

Photo_13 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセで舞踊ショーを観賞しながら。メインのモモ(水餃子)が甘くて激マズ!

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2007年8月13日 (月)

中央アジア12

■メルブへ

Photo_12途中、らくだの大群とすれ違う。もちろん家畜。むっちゃ臭い。メルブは、かつてシルクロードきっての大きさを誇ったオアシス都市であった。1221年のモンゴル来襲によって、破壊される。

メルブは仏教遺跡が出土した、最西端の地で、仏教はこれ以西には伝わらなかったと言う。仏像や、仏教の影響を受けた図柄の壺などが発掘されている。


■大キズカラ・小キズカラ(クズ・カラ)

Photo_10 『乙女の城』という意味のキズカラが2箇所残っている。乙女とはVirginの意味で、攻められない、攻めにくいというところから来ている。外壁が傾いて作られており、外から登りにくい構造になっている。セルジュクのスルタンは、奴隷の娘を侍らせたパーティを頻繁にここで催していたという。


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ロバに乗った少年に出会う。


■国境(トルクメニスタン→ウズベキスタン)

Photo_8 アム・ダリヤ川を渡って、国境越え。スーツケース全オープン。トラックが延々と並んでおり、運転手達はトラックの下をあけて、チャイ(普通のお茶)タイム。

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2007年8月12日 (日)

中央アジア11

■博物館

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遺跡の模型や民族衣装が面白かった。町中で看板などでよく見かけた絵があったのだが、その絵がニヤゾフの記した『魂の書』の表紙だということが判明。トゥルクメンは、絨毯が有名らしい。世界で2番目に大きい絨毯がかかっていた。(就任5年記念に、絨毯メーカーからニヤゾフに贈られたもの。ニヤゾフの顔模様入り)ちなみに世界で一番大きい絨毯は、すぐ近くにある絨毯博物館に設置されているとのこと。

■黄金のトゥルクメンバシュ像
Photo_3 昨夜行ったトゥルクメンバシュ像(正式名は"中立のアーチ")に昼間再訪。トゥルクメンバシュとは、2006年まで終身大統領であったニヤゾフのこと。高さ75m。中は展望台になっているが、昇らず。この大統領の銅像部分だけが、回る仕組みになっており、1日24時間で1周する。昼間は常に太陽の方角を向くようになっている。よって、昨晩見た時と、向いてる方角が全然違った。


■ニサ見学
Photo_7パルティア帝国初期の首都の遺跡。旧ニサと新ニサがあり、旧ニサを見学した。(ややこしいのだが、旧ニサと新ニサは、首都をその2ヶ所交代で使っていたらしく、本当に古いのは、新ニサの方らしい。)ガイドの説明によると、世界遺産に今年登録されることが決まったとか。砂だらけ。とにかく暑い。

5角形の形をした城壁で囲まれており、中心部には王の間やゾロアスター寺院の跡が残っている。昔は日干しれんがの上にしっくいで壁を塗っていたが、そのしっくいは赤色っぽい色であったという。ここから出土したものは、前出の博物館に収められている。

■アナウ

Photo_2 セイットジュマール・アッディン・モスク見学。1948年の地震で崩れてしまったモスク。以前の形状は、博物館で模型を見た。瓦礫の山になっているが、きれいな模様はまだ残っている。今でも地元の人々の信仰を集めているらしく、多くの来訪者をみかけた。

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2007年8月11日 (土)

中央アジア10

■集水風景

Photo_23朝起きるとホテルの前に現地人の人だかりが。寄って確かめると、ホテルのスプリンクラーから、水を集めている。稼動していない時に、スプリンクラーを少し押さえると水が吹き出てくるらしい。生活水をスプリンクラーから採取するとは…。ここでおばさんに、写真を撮れ、そして送れ。と言われる。住所までしっかり書かれてしまった


■国境越え(ウズベキスタン→トルクメニスタン)

トルクメニスタンは、『中央アジアの北朝鮮』と言われるだけあって、警備もものものしかった。2時間半の間、灼熱の炎天下で待たされるはめになったが、他の荷物の多い日本人ボランティアグループに後で聞いたら、40度を遥かに超える気温の中、4時間かかったそうだ。荷物は全オープン。着替えの中までチェックされる。検問官の態度もすこぶる悪い。不愉快。


■トルクメニスタン
Photo_26 トルクメニスタンの国の中を車で走ると、異様な光景が目に付く。まず、大きな建物や、ゲートなどに、ひげのおじさん(現在の大統領)の大きな写真が必ず貼られている。車のフロントミラーなどにも大きな写真が置かれていたりする。光り輝く大統領の銅像もそこかしこに存在する。また、政治的・宗教的な標語の看板が、数百メートルおきに掲げられているのだ。何度もテレビでその異常さは見たものの、本物を見ると、やはり違和感を感じずにはおれない。


■クニャウルゲンチ(クフナ・ウルゲンチ)

Photo_28 古代ホレズムの都。10~14世紀の間、首都の機能を果たしていたが、アムダリヤ川の流れが変わったことにより、ヒヴァへ首都は移された。


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中央アジアで一番高い(87m)クトルグ・ティムール・ミナレットがある。角度によっては、途中辺りで折れているようにも見える。外部はあまり目だった修復はされていないが、内部はかなり塗り固められているとのこと。

テュラベク・ハーン廟、イル・アルスラン廟などを見学。


Photo_30 トルクメニスタンの団体に、「一緒に写真を撮ってくれ」とせがまれる。他の国の人々よりも、すれてなくて気さくである。<br clear="all">



■飛行機でアシュハバードへ

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航空券が手書きなのは、ザンビア・エアに乗った時以来。飛行機内で配られたのは、チェブラーシカ模様の飴。トルクメニスタン政府の高官でも乗ったのか、航空会社側からの一方的な申し出により、フライトの便をずらされる。言い訳内容は、「受験のシーズンなので、受験生を優先させる」とのこと。しかし空港に受験生らしき人影は見当たらず。

■夕食
久々のイタリアン。美味。魚を食べたのは、いつぶりか。チョウザメの卵は食べたことあるが、身を食べるのは初めてかな。わりと脂っこいが、悪くない。

■夜のお散歩

Photo_34 現地ガイドに聞いたところ、街中の治安はいいとのこと。ただし11時以降は、身分証明書の代わりにパスポートを必ず持って出るように、と言われた。ただし、公の建築物は写真撮影厳禁。すぐに警官が飛んでくるらしい。実際歩いてみると、治安がいいというのも納得なのだが、50mおきくらいに、警官と軍の人が立っている。これでは治安の悪くなりようがない。黄金のニヤゾフ大統領像まで歩く。片道15分くらい。

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2007年8月10日 (金)

中央アジア09

飛行機にて、ウルゲンチへ移動。ウズベキスタン、さすが中央アジアでもダントツの観光地なので、日本人だらけ。

■ヒワの遺跡、イチャン・カラ観光

Photo_11 街が二重の城壁に囲まれており、その中に数々の遺跡群がある。人々の居住区もあるのだが、古都に馴染むように暮らしている。古くから存在する街ではあるものの、17世紀までは郊外の一都市にすぎなかったが、アムダリヤ川の流れが変わったことで、首都が移された。サマルカンドやブハラと違い、新しい建築物の中に古い建物が点在するのでなく、全体が古い街並みとして残っているので、とても情緒たっぷりである。


■オタ・ダルヴァザ門
Photo_12 泊まったホテルの目前にあった門。ヒヴァの正門。門に向かって右側にはムハンマド・アル・ホレズミ[783~850]の銅像が置かれている。この人は、"Algebla(代数学)"の言葉の語源ともなった数学者。


■メインストリート 

Photo_13お土産物屋さんが立ち並ぶ。特に目立つのは、ホレズム帝国の人々が被っていた、ファーの帽子。どう見てもアフロのかつらにしか見えない。夏場でも被っていたそうだ。汗をかいて、その汗が蒸発することで、意外に涼しいんだとか。らくだが一頭つながれているが、この子の名前は「カーチャ」

■カルタ・ミナル
Photo_14 中央アジアで一番美しいミナレットなのではないだろうか。青緑をベースにした、彩釉タイルで、模様を描かれたミナレットである。本当は109mを目指して建てられ始めたミナレットだが、作ったアミン・ハーンが建築途中で死んでしまったために、26mで中断されてしまっている。カルタは短いの意。


■ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ

Photo_15 カルタ・ミナルのすぐお膝元にある建物。中央アジアで最も規模の大きかった新学校であるが、現在ではホテルになっている。中庭の地下は、チャイハナになっているので、中に入ってお茶をすることもできる。大人数でなければ、中に入っても特に嫌がられない。とても静謐な感じのする建物で、ヒヴァに行くなら、ここのホテルに泊まった方がいいのではないだろうか。2階建て。


■ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレセ
ハーン国の歴史展示物のある、小さな博物館のようになっている。

■キョフナ・アルク(古い宮殿)

Photo_16宮殿の中に、まるで街の機能が凝縮されて詰まっているかのような、多機能宮殿。中庭に面したアイヴァンは美しいタイルで彩られている。中の部屋には、玉座のレプリカが置かれていた。ハーン(王様)は、部屋の中に入ったり、外のアイヴァンに出たりして執務をしていたらしい。中庭には、ユルタ(テント)が建てられて、お客様に使わせていたようだ。
ハーレム…ハーレム内部も非常に美しい装飾になっている。北側には5つの扉が設けられており、1つがハーンの部屋、後の4つは正妻の部屋になっていた。南側には数百人の妾の部屋になっていたという。ハーンの後継者になれるのは、正妻の子供だけで、妾の子供には継承権が無かったという。面白いのは、北側の部屋のさらに北側に、『秘密の通路』があること。ハーレムの真ん中で、どうどうと「今日はどの妻の部屋にしよっかな~」なんてハーンが選んでいると、やはり都合が悪いらしく、その通路を行き来して、その日どの妻を訪ねるか決めていたという。

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ズィンダン(監獄)博物館…歴代ハーンはとにかく残酷。色んな処刑の方法が描かれていた。ミナレットの上から落とす、という普通のものから、バッグに裸で人を入れて、肉食のネズミを数匹入れて、噛み殺させるとか。大きな串の上に、自ら飛び降りさせて、体を貫くとか。生き埋めとか。


■昼食

Photo_18 とてもおいしいレストラン。民家を改装したもの。一番のメインストリートにある。名前聞くの忘れたが、プロフやサラダがとてもおいしい。 ←黄色いにんじんの入ったポトフ調のスープ。


■タシュ・ハウリ宮殿(新しい宮殿)

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基本的には、古い宮殿と同じような構造になっている。非常に美しい。私が行った時には、中庭にユルタが建てられていて、ハーンもこの中にいるのを好んだとのこと。


■ジュマ・モスク

Photo_22個人的には、ヒヴァの中で一番好きな場所。薄暗いのだが、所々に日の光が差していて、その暗い中に木の柱が200本以上も立っている。非常に幻想的である。10世紀に建てられており、今でもその柱の中に4本は、非常に古い柱(10~11世紀のもの)が残存している。この柱が特徴的なのは、大理石などの台の上に、細くくびれた部分があって、その上が丸くなっていること。この接合部分は、振動のバッファーのために、羊毛のフェルトが敷かれている。


■キャラバンサライとバザール
キャラバンサライだった場所は、デパートのようになっている。アラクリ・ハーン・メドレセと呼ばれている。以前は中央にらくだをつないでおき、2階建ての1階に物を置いて、2階に人間が泊まったらしい。今でもその構造は残っている。

バザールはキャラバンサライの周囲から東門を抜けて城外まで続いており、結構大きい。(私はここでレースリボンを購入。日本よりずっと安い。おつりがガムで渡される。確かベトナムもそうだったな…。)東門では、以前3世紀に渡って、奴隷市場があった場所。「奴隷の門」と呼ばれていた。

■ミナレット(45m)

Photo_20 急な階段を昇らねばならないし、中は真っ暗なので、できればライトがあると良い。螺旋状に昇っていくので、後ろにスピードの速い人がいると、常にプレッシャーがかかる上、狭いので、道を譲ることも難しい。上のスペースは狭くて、リラックスできない。その上、窓が高い位置にあって、小さいため、眺めはあまりよくない。どちらかと言うと、見張り台に上った方がいいと思う。有料。


■アクシェイフ・ババの見張り台

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大きく街に向かって開いた構造になっているので、ミナレットよりも見晴らしが遥かにいい。街全体を一望することができる。階段の斜度もきつくなく、休みながら昇れる。こちらに昇ることをお勧めする。昼間に昇るか、夕暮れ時に昇るか迷いどころ。

Malika-Khiva に宿泊。軽井沢のペンションのような部屋。ホテル全体が小綺麗で、配慮が行き届いている。部屋に冷蔵庫が無いのが玉に瑕。

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2007年8月 9日 (木)

中央アジア08

■オトラル(オトゥラル)遺跡

Photo_9 古くから栄えていた都市。10~13世紀にかけて最も繁栄した。1219年にチンギス・ハーンによって、跡形も無く破壊された。これを機に、チンギス・ハーンは中央アジアへの侵略を進めて行った。(チンギスハーンの送った使者を2人くらい殺しちゃって、怒らせたらしい。)

発掘作業中の人々発見。現在でも発掘は続いているらしい。

■国境越え(カザフスタン→ウズベキスタン)
Photo_10 ウズベキスタンの国境にはいる前に、両替商が並んでいる。インフレなのか、ものすごーくたくさんの枚数の紙幣を渡された。83枚も増えたので、財布がハンバーガー状態。私はボラれなかったが、ボラれる人が多発しているので、気をつけて。一気に数が大きくなるためか、あまり気づかないのだ。

ウズベクに入る時は、所持金額を書かねばならない。出入りの時のお金の収支が合わないとうるさい。こういう国は、自国の通貨が崩壊しかけているというか、弱くなっている証拠だ。

■チョルスーバザール(タシケント)

Sqmy生鮮食品中心のバザール。目覚ましの電池が無くなってきたので、購入。あと飲み物。この電池はSONYでなく、SQMY。スキュミーと読めばよろしいでしょうか。

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2007年8月 8日 (水)

中央アジア07

■アイシャ・ビビの廟。

Photo_7 12世紀の霊廟。ビビは妃の意味。レンガ造りの廟が建っており、その横にはその乳母のババジ・カトゥンの廟もある。

アイシャ・ビビとは、君主であるカラハーンが恋に落ちた女性の名前で、結婚を誓い合っていたのだが、カラハーンがタラズへ出発する時、アイシャを連れて行こうとしたところ、アイシャの父が怒って猛反発、娘を家に閉じ込めた。しかし母親は娘に同情し、乳母と娘を二人でタラズに旅立たせた。町に入ってカラハーンに会う前に川で身を清めていたアイシャは草の上に置いたベールを手に取った時、ひそんできた毒蛇に咬まれてしまう。乳母に告げられたカラハーンは司祭を連れて川辺へやってくると、瀕死のアイシャを抱き上げて、司祭に結婚式を挙げてもらい、彼女以外の妻を持たないことを誓った、というお話。

現在、ババジ・カトゥンの廟の中には白い布が置かれているが、これは民間伝承で、子供のできない女性が、家から白い布を持ってきて、ここに捧げると、子宝に恵まれる、と言われているらしい。

■コジャ(ホジャ)・アフメド・ヤサウィ廟
Photo_8 コジャ・アフメド・ヤサウィは12世紀に活躍した聖職者。この地でのイスラム教の布教に貢献した。63歳(ムハンマドが亡くなった年)で引退し、地下で修行を積んだといわれている。その地下室も残っており、博物館になっている。(クルウェト地下モスク)

ハマムも残っており、比較的形状が保たれている。使っていた道具も置いてある。使用していた想像図も入り口に貼られているので、どのように使われていたのか想像しやすい。(オリエント風呂博物館)

トルコ政府の援助により、大規模な修復工事が行われている。私が行った時は、一番大きなドームの青いタイルを張り替えていた。この地域の人の聖地になっているそうで、なんらかの事情があって、メッカにいけない場合は、中央アジアの人はここを訪れる。

内部には、ティムール寄贈と言われている、2m以上もある大鍋が置いてある。ここでも結婚式を目撃。また、モスクの中で見学していたら、絨毯の上に靴を脱いで上がれ、と言われて、アラーに私たちの幸運を祈ってくれた。(たぶん。ジャポネとアッラーしか聞き取れなかったけど)

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2007年8月 7日 (火)

中央アジア06

午前:ビシュケク市内観光
キルギスの首都ビシュケクは、ソ連時代の都市計画で作られた都市。

■バザール
Photo_3オシュ・バザールは市民の台所と呼ばれている。果物、野菜、米、パン、肉、スパイス何でもある。


■国立歴史博物館(アラ・トー広場)
Photo_4歴史博物館の前では、衛兵がクソ暑いなか、ずっと立っている。一応日除けは付いているものの、かなりの温度だ。倒れたりしないのだろうか。


Photo_6 自由の女神像が広場の中心に飾られているが、2003年までは、レーニン像が飾られていた。今ではそのレーニン像は、博物館の裏側へ。

博物館の2階はソ連時代のままで、子供の頃から成人するまでのレーニンの一生や、その他共産主義に関するものがたくさん陳列されている。他の国みたいに、壊したり片付けたりしないで、このまま残しておいた方がいいと思う。

3階は歴史民族に関する展示。石人やユルタの模型が飾られている。

午後:国境越え(キルギス→カザフスタン)

■タラス川
タラス川で、8世紀半ば、唐とアラブが戦った。唐には製紙技術があったのだが、アラブ側にはまだなく、パピルスもしくは、石板に書いていた。この戦いの時、唐の技術者がアラブに捕虜として連れてこられ、製紙技術がアラブ側に伝わった。

シルクロードの要衝として栄え、10~12世紀にはカラハーン朝の首都として最盛期を迎えた。

その場所ではないが、タラス川を一応見学。地元の子供が水浴びをしていた。

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2007年8月 6日 (月)

中央アジア05

午前&午後:ビシュケクへ移動

■ビシュケクへ移動
朝食が10時からじゃないと出せない、とのことだったので、朝食をボックスにしてもらい、ビシュケクへ戻る。

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道中、遊牧民族の人が道沿いに構えていたので、立ち寄る。ユルタ(ゲル)の前に汚いプラスチックボトルに入れた馬乳酒(クムズ)や、塩っ辛いチーズ、果物を売っていた。ついでにユルタの中を見学させてもらう。馬乳酒は大きな樽の中で棒を上下させて作るらしく、おばちゃんが実演してくれた。

■昼食後
戦争記念公園へ。ジム・ロジャースの本にも書いてあったが、この辺にはどこのどんな小さな町にもこういう公園がある。

■ブラナの塔(トクマク)

Photo 2_2
11世紀初めに作られた、ブラナの塔。現在は高さ24m。以前は45mあったのだが、15~6世紀の地震で崩壊。残った部分も、傾いている。塔は登ることができるが、中は真っ暗でとても急な螺旋階段になっている。要懐中電灯(ヘッドライトが好ましい)。数十段しかないのだが、次の日足が筋肉痛になってしまった。踏み外すと危ない。

近くには、国中から集められた石人が飾られている。石人は色んな表情のものがあるが、必ず片手にワイングラスのようなものと、もう一方の手には刀が握られている。

10~13世紀のカラハーン朝の首都のひとつバラサグンではないか、と言われており、敷地内からは3つの墳墓や礼拝堂の跡もあるが、全体的にキルギスは発掘に熱心ではなく、ソ連時代に発掘されていたものがそのまま予算の都合上ストップされている。ここもそう。、

■アク・ベシム(破葉城)

Photo_2 ブラナの塔から約6km、玄奘三蔵(三蔵法師)も立ち寄ったとされている仏教寺院があった場所。6~12世紀の遺跡。629年に出発した玄奘三蔵がインドに向かう途中、イシククル湖を通ってここで突厥(トッケツ)の王に会ったらしい。彼らは一直線にインドに向かったのではなく、周囲の友好国を周ったりしながら、ガンダーラに向かっていった。言葉は、通訳をつけて旅行していたらしい。

■クラースナヤ・レーチカ

7~9世紀の広大な遺跡。長さ11mの横臥仏像が出土したが、いくつかに切ってエルミタージュに運ばれた。

■移動
移動中、子供が車に石を投げつけ、窓ガラスがボロボロに破損。危ないので車を替える。

AK KEME に宿泊

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2007年8月 5日 (日)

中央アジア04

午前:イシク・クル湖へ移動

■昼食

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移動途中、スイカやメロン(はみうり)が道端で山のように売っていた。ドライバーに頼んで、1つずつ購入し、食べる。とても美味。 昼食のレストランの裏がパン屋さんになっていた。かわいい女の子がパン作りのお手伝い。
 
■タンバル・タス(岩絵)

Photo_6 アルマトイの北西180kmの位置にある、野外博物館。青銅器時代~鉄器時代にかけての岩絵が残っている。山鹿、雪豹、イヌ、馬などが岩に彫られている。狩猟風景や、太陽神、アニミズムの影響などが表れている。世界遺産。


■チョルパン・アタ(イシククル湖北岸)

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ソ連時代、幹部の保養地だった場所をそのままリゾート地としたもの。湖は、天山の真珠と呼ばれており、バイカル湖に次ぎ、世界第2位の透明度を誇っている。水は冷たかったが、泳ぐ。とても敷地内が広くて、子供の用の遊具がたくさんおいてある。そこかしこにソ連時代の面影が残っている。高級リゾートだとのことだが、無茶苦茶サービスが悪い。辟易。食事の量が少ない。メインがラグメンのみ。

AVRORA Hotelに宿泊。

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2007年8月 4日 (土)

中央アジア03

午前:アルマトイ(カザフスタン)の市内観光。

■28人のパンフィロフ戦士公園

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第二次世界大戦のことを、大祖国戦争と旧ソ連領では呼んでいる。この公園は、カザフ共和国から出征し、モスクワを防御したパンフィロフ将軍率いる28人の戦士を記念して作られた公園。新婚カップルがお参りによくきているので、目にすることができるかも。

敷地内にはカザフ民族楽器博物館も。木造の建築で、味がある。

■国立博物館(国立中央博物館)

カザフスタンの歴史資料が豊富。黄金人間の実寸大の再現像がある。(ガイドは本物はエルミタージュにあると言っていたが、ガイドブックによると、国の金庫に保管されているとのこと)

■共和国広場

Wed結婚式発見。二人で塔のふもとにある本の形をしたモニュメントで手を合わせていた。

ビデオでウェディングビデオを撮影中に、さしてた日傘を演出に使いたい、と言われ、貸し出し。


午後:移動。アルマトイ(カザフスタン)→ビシュケク(キルギス首都)

■カザフ-キルギス国境

Photo この旅初めての国境越え。写真は本当は撮っちゃいけないんだけど、撮ってしまった。カザフとキルギスは、国としての関係も良いので、割とスムーズ。


■夕食
Photo_3 中庭がダンスホールのようになっているレストランで食事。揚げマントゥを食べる。羊肉と玉ねぎが入っていて、美味。

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2007年8月 3日 (金)

中央アジア02

久々の南ウィングである。っていうか、たぶん20年ぶりだと思う。第2ターミナルができてから、ずっと閉じられていた南ウィングは、去年再オープン。

普通に成田空港駅で降りて、いつも通り出発ロビーに進んだら、ついつい北ウィングに足が向いてしまう。この20年間で身についた方向感覚は強固である。

南、南、と反対方向を目指すと、そこは"Star Alliance王国"。北ウィングよりもカウンター間のピッチが狭くなってて機能的。



Sundub1経由地の韓国、インチョン空港で、スンドゥブを食す。うまい! さすが、本場。 ウォン持ってきて、良かったぜい!


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2007年8月 2日 (木)

中央アジア01

アシアナ航空、便キャンセル。仕方ないので旅行を一日短くすることに。

ああ、ついてないわぁ。

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